こころの教育をしていくには?

こころの教育の大切さが謳われるようになってから、ずいぶん時間が経ちました。学校の道徳の時間は、以前にも増して充実していて、感心します。でも実際、子どもたちのこころに影響しているのは、身近な大人、つまり親であることは言うまでもないかもしれません。

こころの教育の土台は、家族関係にあります。

私たちは、人間である限り、完ぺきではないので、
こころの教育、こころの成長は、子どもばかりに注目される類いのものではなく、むしろ、大人である私たちが心していくものです。

大人も発展途上である

時々ママたちが口にするのは、「私たちはもう十分学んできたので、子どもに」という声を聞きますが、本当にそうなのでしょうか?
どうやら私たち大人も、こころの成長は、発展途上だというあり方の方が、子どもたちも受け入れられやすいようです。

発展途上である私たちが、子どもたちに『こころの教育』は可能か?

可能どころか、もう既にしています。
子どもたちは、私たち大人の後ろ姿=あり方を日々学んでいます。とてもよく観察し、吸収しています。

 

こころの教育をどうしていくべきか?

『私』が『私』のこころを大切にしていくことです。

私のことですが、10年前、自分はこころを大切に過ごしていると思い込んでいました。

家族との時間を大切にし、

夫の両親を誘って毎年一緒に旅行に行ったり、
電話で私たちがうまく行ってることや夫の活躍ぶりを両親に報告したり、

子どもたちには、記念日プレゼントをスルーしちゃうパパの代わりに子どもたちにパパの想いを一生懸命伝えたり…

家族の絆を育むためにこころを尽くしていたと自負していたからです。

 

実際、そうだったと思います。家族に対しては、、、。

 

ところが、10年前のある日、心理学講座に参加したときのこと。

「いま、どんなことを感じている?」

と質問されても、答えられませんでした。

 

それでも思いつく限り言葉を並べ、

「あの時の〇〇がイヤだった。
でもできれば、これからは□□の状態にしていきたい。
母親だもの、そうするべき。
答えはわかっている。
でも私がそのように出来ていないだけだ。」と、答えました。

ところが、
「どれも思考的で、あなたが何を感じているのか人にはわからない」
と、言われたのです。私はとても衝撃を受けました。

なぜなら当時、息子がお世話になっていたモンテッソーリスクールの園長先生にも、「考えるより、感じてみてね。それにはあなたが自分の時間を持つこと」
と、指摘を受けていたところだったのです。

そして『今』、このことを振り返ってみても、実際のコミュニケーションにおいて、感情表現がとても乏しかったとわかります。

 

例えばこうでした。気持ちを表現するということもなかったし、敢えて表現するならば、

ネガティヴな気持ち
・なんかイヤ
・怒ってる

ポジティブな気持ち
・楽しい
・嬉しい

というものに陥りがちでした。私は、人に気持ちを伝えるということがとっても未熟だということを知ったのです。次第に、私は自分のこころを大切にしていなかったことに徐々に気づくことになります。

『感情的』と『表現が豊か』とは違う

その当時、私はとても感情的でした。そんな自分を感情表現が豊かだとさえ思っていました。でも実際は、前述の通りでした。つまり、感情的になっていたのは、私自身のこころを無視していた結果だったのです。こころの中でいろんなことが起きていても、蓋をし、たくさんの感情や思いを封じ込めて、爆発していただけだったのです。

「家族に尽くしても、大切にされていない」のではなく

私が私自身のこころを無視した結果だったとわかっていきました。
あれから10年、成熟した女性ってどんな女性なのか?紆余曲折生きてきた今だからこそできる学びをしていきました。

以前のように、「何を言っているのかわからない」と言われるのが怖くて、コミュニケーションをとることを諦めるようなことはなくなり、

今では家族に大切にされるようになり、

私を大切にしてくれた家族自身のの変化も大きなものでした。

家庭だからこそできる『こころの教育』
あなたも築いていきませんか?

 

夫婦の絆が自立した子どもを育てる
人生の成功を支える家族の基盤構築
ファミリーファシリテーター
堅田亜貴子

本気で向き合った私の事例③

子どもたちをみると本気モードスイッチオンされる堅田亜貴子です。

 

私の本気モードは、子どもたちにすぐ伝わるようで、「先生って、授業、いつも本気だよね。」って言われます。

 

かつて私が中学校で教鞭をとっていたころは、生徒たちには、GTOではなく GTKと言われたりしていました(笑)

 

さて、子どもたちは、どんな時に私の本気モードを感じ取っていたと思いますか?

 

大きくは2つあります。

 

質問されたら、カリキュラムを吹っ飛ばして、とことん付き合うこと。

 

私の内的な体験を、生徒たちの前でごまかさず、ドギマギしながらも、きちんと伝えること。

 

子どもたちは、自分たちを子ども扱いされたり、話しをスルーされてしまうと、子どもたちはそれに気づいてがっかりするのだそうです。

 

ある男子高校生は、自分が中学生の時、先生の受け答えを見て、その教科を頑張るかどうか左右されていたと教えてくれました。

 

このほか、子どもたちに、過去の失敗談を話すのも、信頼関係を培うには良いネタです。

 

いつでも本気であるところ、魅せ続けたいなと思います。

 

本気で向き合った私の事例②

息子たちがまだ幼稚園に通っていた頃。私は何だか体力的にも疲れきっていたし、精神的にもとても辛くなっていた時期がありました。

 

出産直後からの夫とのコミュニケーションの積み重ねから、夫に家事や育児を頼めば手伝ってくれるという状況にありましたが、

 

私は何だかとっても空回りしていたように思います。

 

教員だった頃に、子どもたちに向けていたゆとりや信頼はどこへやら、気づいたら、子どものあるべき理想の姿や、子育ての理想を描き、

 

子どもたちにも厳しく厳しくしていました。

 

子どもたちを厳しく育てるには、その環境の一部である自分にも理想を突き付けて、

 

良いお母さん

 

良い奥さん

 

良い保護者

 

良い嫁

 

であろうとしていました。

 

幼稚園で、「丁寧な子育て」を評価される一方で、

 

幼稚園での息子に対するフィードバックが辛くなっていたのです。

 

結果、子どもを『直そう』と必死になってしまうありさまでした。

 

子どもたちは、むしろ症状が悪化。。。

 

そんな子どもたちを見ていると、もっとのびのび育てたいという気持ちが強くなっていきました。

 

ある日、「この状態を変化させたい」と思ったのです。

 

子どもに厳しくモードをいったんストップしました。

 

そして、自分と向き合ってみました。

 

 

とっても無理をしている自分に気づいてはいたのです。

 

 

でも…

 

その無理をする一方で、「絶対に私がやらなければ」と雁字搦めになっている自分がいました。

 

 

まるで、やめたいはずの無理を、

 

むしろ買って出てるようだと思えてきました。

 

「もう止めよう。」

 

「ん??????」

 

( 涙が出る… )

 

ようやく気づいたのです。

 

たくさん家族への想いがこみ上げてきました。

そして、私は自分に無理を強いて犠牲になることで、家族の中での自分の存在価値を必死で保とうとしていたのです。

 

家族の中で辛くなっている自分と向き合い、ダメな自分と向き合い、そのことを夫に素直に伝えました。徐々にですが、私は、例え私が何もできなくても、家族にとってかけがえのない存在なのだと心底思え、そんな自分を大切にするようになりました。

 

モノの見事に、
息子たちも自分を大切にいきるようになり、

 

私が厳しくしなくても、年齢相応の『判断』ができる子どもたちに育ってくれました。

 

本気で向き合っているつもりが、自分いじめになっていることありませんか?

そんな時は、客観的に聴いてもらう時間を取って、自分に優しくなるようにしましょう。