ズレ

第2話    ズレ

1979年 私 7才。

私は某女子校を受験し、その結果を見るために会場に向かっていた。

母の期待膨らむ表情をよそ目に、私は重い足取りで坂をのぼっていた。

結果は、不合格。

私は、すっとこころの荷が降り、秋晴れの気持ちいい空気をやっとゆっくり吸えたのを感じていた。すがすがしく坂をくだっていく。

そう、この学校に行きたくなくなってしまったのだ。

というのも、試験合間のこと。

休憩時間だと思い込んだ私は思いっきり遊ぼうとしたが、何やら雰囲気がおかしいことに気づく。

見渡すと、何人かの先生が、名簿らしきものを片手にチェックしていたのだ。

えっ!?遊びすら試験?!

試験ってそういうことなんだ…と、ショックを受けたのだ。

私はとっさに、靴下を下げた。

お嬢様学校ではあり得ない身だしなみだ。

そして、その後に行われた筆記試験は気づいたらひとつずつズラして回答を書いていた。

そんなだったから、試験結果にほっとしたのだ。

帰り道、母は行きとは違い、口をつぐんでいた。

駅に着くと母は、塾と父に報告の電話をした後、落胆しきったまま駅の椅子に座り込む。

その様子は尋常ではなかった。

もしかして、私の不合格がこんなにもお母さんを泣かせている???

後に知ったのだが、

あの当時の父は、オイルショックの波にのまれ、自殺を考えてしまうくらい追い込められ、母は父を私の合格によって励ましたかったのだという。

母自身もそんな自分のズレに気づいたのは、だいぶ後のことだったそうだ。

その後、両親は私にぴったりな学校をみつけてきてくれた。

 大きなお庭のあるのびのびした学校。

大きなイチョウにうっとりして、試験中ぼおっと眺めて話しを聞いていなかったら、面接の時に怒られるのではなく、イチョウの話で先生と盛り上がり、この学校にこころから行きたいと思えた学校。

父はとっても幸せそうに私の小学校の入学式に参列してくれた。母は、ワンピースをあつらえ素敵に参列してくれた。

私は大きなお庭で悠々と友達と遊び、憧れの先生にも出会い、そのまま12年間通いつづけた。さらに、教員として戻るほど、その学校が大好きになった。

時間、労力、お金が流れていくとき、

子に見返りを期待してしまうとき、

結果にがっかりするときは、

子育てにおいてズレが生じているかもしれない。

子どものため

このフレーズも要注意ワードだ。

思い込みは、柔軟性をなくす。

思い込みは、家族の声をスルーさせる。

私の母も、近くの小学校が荒れていたので受験をさせる決断をしたこと自体は間違いではなかった。

でも準備する段階で少しずつ本来の意図からズレていってしまったのだ。

育児において、

母親というのは、たくさんの情報に囲まれる。本来の意図を見失うのも仕方がないことなのかもしれない。

大切なのは、

ズレたときのサイン

に気づくこと。

そのサインを知っていさえすれば、

不安になることも、

迷うこともなく、

らしい育児で子どもを幸せに導けるのだから。

赤ちゃんの幸せって?

これまで明かすことのなかった

ずっと幸せでいられる

家族の基盤構築誕生秘話を

お伝えしていきます。

第1話

赤ちゃんの幸せって?

私 1972年誕生。

家族は、父、母、そして10才と7才の兄。

幸せいっぱいのスタート。

でも、誕生翌年、日本はオイルショックにみまわれ、父の働く鉄鋼会社は、長い冬の時代に入る。

その頃から、父と母の夫婦喧嘩が再燃。母はひたすら父に訴え、父はうつむき続けるのがお決まりの両親の光景。

まだあまりおしゃべりが出来ていなかった頃から私は、「おとーさん!もにもにもにもに!」と母を真似ていたという話が残っている。

もちろんその頃の私は、状況把握などできるはずがなく、父を叱っている意識もなかったことだろう。

しかしこれが後に、私は自分を責める材料になる。

さて、本題、

赤ちゃんの幸せとはなんだろうか?

オイルショックが起きたから不幸せなのか?

夫婦喧嘩が不幸せなのか?

いいえ。

喧嘩しても仲直りをする。

気持ちを話す。聞く。思いやる。

相手を理解しようと努める。

礼儀を尽くす。

それぞれが成長しあい、歩み寄る。

そんな空間にいられたら赤ちゃんは幸せ。

なぜなら、これらすべてが愛だから。

子どもの宿題を手伝うか手伝わないか問題?

すっかり秋めいてまいりました。 わが家のクスノキからどんぐりがころころ落ちてくるのが楽しみで仕方がありません。

さて、もう秋だというのに、SNSでこんなニュースが流れてきました。

夏休み、子どもの宿題を手伝うか手伝わないか?秋に入ってもこのようなニュースが流れてくるということは、とても関心が高いのかもしれませんね。

元教員である私はというと、、、

手伝う派です。

が、しかし!!!

はなから、そのようなスタンスにはいません!

あくまでも子どもに寄り添った結果、手伝うところは手伝うというスタンスです。最初から口出しはしません。

例えば?どのように?

ケース1 小学校 低学年 感想文
本を読んだ感想はしゃべることはできても、書くスピードが追い付かず、そのうち何を書こうとしていたのか忘れていた様子だったので、ヒアリングし、代わりにメモし、それをゆっくり写してもらった。

ケース2 小学校 高学年 感想文
感想文は、このように書くべきという正解の形があるようで、書けなくなっていた。
読んだ本について時間をかけて話し、子どもの代わりにありのままの言葉で表現した。
子どもは、まるで自分が書いたようだと言っていた。その後、文章書くのがとても苦手になっていたのが、実は書けるのではないか、自分は得意かもしれないという心境の変化が起きていた。

ケース3 実験レポートの書き方
どんな実験をしたのか聞いた。
レポートとはどのようにまとめるのか、一緒に調べ、子どもと一緒にレポートを仕上げた。
担任の先生にとても評価された。

そもそも、大人のも手伝うことがあります。

大学生のケース 就職活動編
大手ITの就職を希望する大学生。
成績が思わしくないので、どうしたらよいかという相談。
彼のビジョンを聞き、受けたい会社と方向性があっているかを見極めたうえで、志望動機など指導。見事合格!

社会人ケース 社内昇格論文編
どうして昇格したいか?どんなビジョンがあるのか?を伺っているうちに、なぜ昇格したいかその根底にある本当の気持ちに気づけた様子。

困っていたら、大人だってサポートを求めていいですよね。

考察

子どもの宿題を手伝うか手伝わないかというより、寄り添い方なのだと思います。


宿題は本来、楽しんでやるものですから、つけはなしたり、逆にキット を買う必要はありません。

子どもの内なる声に寄り添うには、普段からの信頼関係の構築が大切。信頼関係をどのように築けばいいかわからないという方は、まずは五感を使って子どもと一緒に過ごすことから始めてみてくださいね。ぜひ、ファミリーファシリテーターにご相談下さい。